賓主互換

森下典子さん原作「日日是好日」が映画化、出演は黒木華さん樹木希林さん、くしくも樹木希林さんの遺作となってしまいました。
気のせいか樹木希林さんが台詞を言う時の息遣いが少し辛そうな時もあり、撮影が昨年の11月から12月だったことを考えると、だいぶお辛かったんだろうなと想像できます。
着物の着こなし、帛紗の捌き方、お辞儀の仕方どれをとってもお茶の先生そのものでした。


ところでこの映画は、お茶を習い始めて1〜2年くらいの人が観たら最適かなと思いました。
「どうしてこんなに型を気にするのだろう」、「どうして稽古の度に道具がガラッとかわってしまうのだろう」、どうしてどうしてというような時に観ると 溜飲が下がるのかもしれません。
私はついつい先のことを説明してしまう方なので、私の元で稽古している人の、いわゆる「気づきの喜び」というのを奪っているかもしれません。そうだとしたらごめんなさい。
映画の話はここまでとしましょう。


映画でも言っていましたが、稽古の最終目的は「正式なおもてなしの茶事」ができるようになることです。
私も長年稽古してきて社中での稽古茶事というのは結構やったことがありますが、一から自分でというのは数えるほどしかありません。
私が先生について稽古していた時にやった稽古茶事は、ほとんど施設を利用したものでした。
つまり貸茶室で、そこには板前さんがいて懐石料理はおまかせです。
道具も希望は聞きいれてもらえるものの、その貸茶室に備わっているものを使います。
つまり茶事の流れを勉強するにはとても良いのですが、それ以上のことはありません。


めったにできない手づくりの茶事ですが、去る10月16日私は自宅に三人のお客様を迎えて実現することができました。
お客様三人(プラス宗鶴さんは半東と詰客を兼任してくれました)は、私が茶道で長年お世話になっている 私よりちょっとだけ年上の、でも茶歴からすると私よりはるかに立派な経歴をお持ちの先輩方です。
一見無謀とも思える私のお誘いに「伺います」と嬉しいお返事。
私は勉強させてもらうつもりで、精一杯亭主を勤めました。
お正客がとてもお上手にご挨拶や道具のお尋ねをしてくださって、私は緊張することもなく自然体で臨むことができました。


準備段階を振り返ってみれば、普段使わない部屋も使うのでまずは掃除から、料理の器も二階の納戸からかき集めなければなりませんでした。
得意とは言えない料理、食材の調達、そして茶事のテーマはどうしようか。
考えるときりがないほどあれやこれやあるものです。


でも終ってからの皆様のお喜びの感想を、半分だけ聞いたとしても、言葉だけで知っていた「賓主互換」ということを実感できた素晴らしい一日になりました。

大寄せの茶会

大寄せの茶会に参加する機会が年に何度かはあるものです。
その中で“心に残る茶席”とはどんなものでしょうか。
今の私にとってそれは“席主と正客の会話”です。
とはいえ、正客を譲り合ってなかなか決まらない場合も多いです。
そんな時は、席主と正客の会話とはいきませんが、席主が『頼まれ正客』を上手にリードしていくことも席主の力量でしょう。


茶会の準備には何ヶ月もあるいは年単位の時間が必要かもしれません。
ご自分の持っているある道具に焦点をあて、それを趣向にする方もいらっしゃることでしょう。
季節の行事に焦点を当てるかもしれません。
席主の人生の節目に席主を務められているかもしれません。


客となって席入りし、最初に床を拝見したいところですが、大寄せの場合それができないことが多いのが残念です。
やっと正客を引きうけて下さる方が決まると、正客から
「お高い席を頂戴し身が引き締まる想いです。至らないことがあると存じますが皆様どうぞよろしくお願い致します」
とご挨拶をいただき、次客以下末客まで、お正客に
「どうぞよろしくお願い致します」
と、これから始まる一会に期待して一礼致します。


その頃には席主がお出ましになり、
「本日はようこそお出で下さいました」
とご挨拶して下さいます。
直にお菓子が持ち出されお点前がスタートします。


お正客にはまずお床についてお尋ねしてほしいです。
席主は掛物を読上げ、お花や場合によって香合やその他の飾りものについて説明してくださいます。
それによって客は、今日の茶席の趣向をおおよそ理解できるものです。


席主は正客と会話することは当然のことではありますが、そのやり取りの中にも連客への心遣いがあるととても嬉しいものです。
客が大勢ですと菓子を取り回すのにも時間がかかり、まだ菓子器が回ってこない客もたくさんいる中で、お正客が一口召し上がったからと
「いかがでございますか。今日の菓子は○○で△△製でございます。」
と言われても
「もう少し待って」
という気持ちになることもあります。


こんなこともあります。
正客がたまたま席主と親しい方だったりすると、
「先日の○○ではどうこうで□□でしたね」
のような会話になってしまい、連客一同は
「何の話?」
となってしまいます。


それからお道具ですが、茶会はめずらしいお道具に出会える良い機会です。
でも、あれもこれも箱書があり立派で高価なものを並べていただいても何か虚しさを感じてしまいます。
村田珠光の言葉に「藁屋に名馬をつなぎたるがよし」という言葉がありますが、何か一点光る物があれば十分ではないでしょうか。
加えて、その光る道具に対する席主の想い、例えばその道具との出会い、あるいは代々受け継いできたものならなおさらのこと歴史などお話しして下さったら嬉しいです。

茶箱

8月初めから9月第2週まで茶箱を楽しみました。
卯の花点前から始め和敬点、次に雪点前、花点前、月点前と進みました。
こんなに何種類もやる必要はないのですが、なんとなく法則性をつかめたような気がします。


拝見付でやるとそれなりに時間がかかりますが、拝見なしでやると短時間ですみます。
お茶を点てる前の展開の仕方は、点前によって違うものの法則性があります。
お茶を点てた後の仕舞付けは快感です。
展開していた道具があっという間に茶箱に納まってしまう感じです。


これまで茶箱に苦手意識がありましたが、今年は大変好きな点前になりました。
野外にポットでも持って行って月点前でも楽しみたいなと思いました。

2017年8月12日 三渓記念館 望塔亭にて呈茶

屋根打つ雨音で目が覚めました。
あ〜今日は雨コートと雨草履で出かけなくては。
このところ、まるで戻り梅雨のような天気が続いています。
昨日の山の日から旧盆にかけて多くの人が夏休みでしょうに。


幸い雨も一時的かもしれませんが上がってくれ、開門早々の入門。
すぐ右手に蓮池が現れました。
「わー背が高い!」
いくつかの大きなピンクの花が出迎えてくれました。
早朝観蓮会は7月中旬から8月初旬まで。
盛りは過ぎてしまったので遅咲きの花何本かですが、十分存在感がありました。


三渓記念館 望塔亭は、大きなガラス窓からの景色が素晴らしいところです。
ですが、ただいま池の改修整備工事中で、池の水をすっかり抜いてしまっています。
窓にはロールスクリーンがかかり、上げてはいけないとのこと。
残念ですが、仕方ありません。
工事終了は9月末の予定だそうです。


薄日が射してきたと思ったらまたザーと降りだしたりして、入園者もとまどっていることでしょう。
夏休みですからお子さん連れも多く、望塔亭にも何人かいらっしゃいました。
そういえば、通常は非公開の鶴翔閣 昨日から16日まで公開中で、茶道体験 、紋切り遊び、瓦の拓本などのワークショップを開催しています。
そちらで茶道体験をしてから望呈亭に見えられたママと女児もいました。
きっとどこかで茶道を習い始めてくれるのかなと嬉しくなりました。


本日のお客様66名 うち外国の方11名でした
本日お手伝いして下さった方:宗瞳さん、宗鶴さん、ひ○○さん、大○さん、川○さん

2017年8月9日 湿し灰作り

2年ぶりに湿し灰を作りました。
今年の4月末に炉から引き揚げた灰を、昨日水を4回替えて灰汁抜きしておきました。
今日は申し分ない晴天、しかも湿度が低めで灰作り日和でした。


ござに広げて乾かし、ほうじ茶と丁子を煮出してじょうろでかけ、また少し乾かしました。
生乾きの状態で両手でもみほぐし、篩いにかけて完成です。

2017年8月7日 あるべきよう

図書館から「茶の美-いまに生きる茶のこころ」という淡交ムック1999年版を借りてきました。
巻頭に、坐忘斎お家元様のお母様 千登美子様の一文がありました。
タイトルは「あるべきようの姿」お家元様が、お母様の書かれる文章が大変お好きで、自分はとてもかなわないというようなことを何かに書いておられたのを以前読んだことがあります。


私は、この「あるべきようの姿」というタイトルの一文を何度も読みました。
なぜなら、まず“あるべきようの”という表現を初めて目にし、少し戸惑ったからです。


千登美子様は書かれています。
・茶道は、すべての稽古事と同様に基本がたいせつであり、それをないがしろにしては豊かな意味も深見も味わえず、心のやすらぎにも癒しにも到達しない……これはとてもわかりますね


・お茶が正しく行じられ、お人とたのしく通い合わなくては、ただ単なる意識の遊びにすぎないことになる……これもわかりますね


・いわゆる孤高の精神、すなわち秀れて清かな思惟(さやかなしい)も、存在としての優しい息づきなくしては本来の茶の美ではありますまい……このように感じられる場面をきっと御経験されたのでしょうね

そして結びに利休七則を挙げられ、それこそがあるべきようの姿だとおっしゃっています


広辞苑で“あるべきよう”を調べて見ました。
なんとあの明恵上人鎌倉時代に唐から戻った栄西から茶の種をもらい、京都栂ノ尾で初めて茶園を作った和尚)が「人は阿留辺畿夜宇和(あるべきようは)という七文字を持つべきなり」とおっしゃっているのです。
仏教に詳しい方ならご存知の有名な言葉のようです。


“あるべきよう”ではなく“あるべきよう”ここに意志の存在を感じます。
どんな場面においても、どんな状況においても、私は「あるべきようは○○だと考えるので、こうこうします」
千登美子様の意味深い一文に魅せられた一日でした。

2017年7月27日 レンゲショウマ

一昨年購入し、鉢で育てていたレンゲショウマが今年は沢山咲いてくれました。


茶道雑誌「淡交7月号」の“茶花を育てる”がまさにレンゲショウマでした。
日比谷花壇の塩見亮一さんは、この植物について次のように表現しています。
文字通り蓮華のような花をうつむいて咲かせる様子が大変奥ゆかしく、誰もが気に入る花だと思います。
そう、その通りです。
塩見さんは引き続き、述べています。
市街地の高温多湿を嫌い乾燥状態も嫌い。
えー困ります。
芽を出したら広葉樹の下など、ちょっと暗すぎると感じるくらいの通風のよいところが適しています。そして毎年植え替えましょう。
うーん、デリケート。来年も上手く咲かせるには大変かも。


数年前に奥多摩の御岳山に行った時、このレンゲショウマの群生地がありました。
残念ながら花期は過ぎており、この目でみることはできませんでした。
一昨年サカタのタネでレンゲショウマの苗を見つけ、購入し育てていました。
今年はだいぶ株がしっかりし、早春から葉の展開も盛んで、5月頃からまん丸の蕾を付け始めました。
それから開花までが長かったです。
でも茶花にはまだ使っていません。
なぜなら、茎を長く採ろうとすると、そこにはたくさんの蕾があり、切ってしまってはそれらの蕾は咲かないで終ってしまうような気がしたからです。
でも、もう花も盛りを過ぎたことですし、今週は床の柱に掛けてあげようと思います。
下を向いて咲く花なので、置花入よりは掛花入が適しているでしょう。